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ストレスと、どう向き合うべきか?

p. 129( p.113 - 132 )




修行と言えば、山にこもったり、滝に打たれたりするというようなイメージを持つ人も多いのではないでしょうか。

山にこもるというのは、欲にまみれた世間から距離を置くことで、ストレスの原因になるもの(様々な欲)を断ち、感情の乱れを少なくしようとしているのかもしれません。

また、滝に打たれるというのは、強制的にストレスを思考できない状況を作り、感情を無にしようとしているのかもしれません。

そもそも、釈迦自身も、様々な苦行をしたのちに瞑想をしています(1)(2)

釈迦は、29歳で出家して35歳まで苦行を続けたと言われています。

心を無にするトレーニングを何年もしてから、最後の最後に瞑想を行い、悟りに達しています。

何年もの苦行を通して、心の乱れを静めることができるようになっていったのかもしれません。

どんなに苦しい状況に自身の身が置かれたとしても、心を乱さないでいることができるようになったとも言えます。

だからこそ、釈迦は負の感情に心を乱すことなく、正しい答え(悟り)を導くことができたのではないでしょうか。

つまり、釈迦が苦行をして悟りに達したのと同じように、修行を行いながら、段階的にゆっくりと心身を鍛えながら、悟りに到達していく必要性があるのかもしれません。

では、現代人も解決策(悟り)に達するために、釈迦や仏教僧のような苦行をしなければならないのでしょうか。

お金や時間に余裕のある人は修行をすることができるかもしれませんが、普通に働いている人や家庭のある人の場合は、非常に難しいと言えます。

むしろ、お金や時間に余裕が無いこと自体が、ストレスになっている人もいるはずです。

では、どうすればいいのでしょうか。

このような、どうすればいいのかわからない状態から、自分で解決策を考えていかなければならないとも言えます。

方法が無いのであれば、自分で方法を生み出さなければなりません。

結局、ストレスによって乱れてしまった心をフラットな状態(無)にできればいいということになります。

では、日常の中で、心を無にする練習はできるのでしょうか。




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