TOP > 未来医療 > p. 146

第六節 肩の力を抜いて、気楽に。

p. 146




戦いに勝とう勝とうとして必死になればなるほど、戦いに勝てなくなる。

相手を倒そうと思って力を入れるほど、思考や体は固くなり柔軟な動きができなくなります。

敵の攻撃も回避しにくくなるし、こちらの攻撃も当たりにくくなります。

例えば、仕事やスポーツの試合などにおいても、少し力を抜き、心に余裕がある方が、結果的に上手くいくことがあります。

戦いそのものを楽しんだ方が肩の力が抜け自然に戦いに勝ててしまうため、そのようなアドバイスがされることは日常的によくあることではないでしょうか。

戦いに勝つためには、戦い自体に飲み込まれるのではなく、一歩引いて自分自身を客観的に見るような姿勢が大切であるとも言えます。

病気との戦いは、勝つか負けるかのゲームのようであるとも言えますが、もし負ければ死んでしまう事さえあるゲームでもあります。

しかし、この深刻な状況を、自分のことではないように、まるで他人事のように考えるぐらいの姿勢の方が、逆に良いのかもしれません。

ゲームでゲームオーバーになったからといって、なんてことはない。

このような気持ちが大切なのではないでしょうか。

病気を治そうと思って生活習慣を改善しようとする際も、同じ様な気持ちが必要とも言えます。

病気を何とか治そうとして、運動をしたり、食事に気をつけたり…、一気に生活を変えなければならないと思うものです。

病気によって死んでしまうかもしれない状況であれば、必死になるのは仕方のないことかもしれませんが、焦れば焦るほど、努力が裏目に出ることもあります。

自身の生活習慣というのは、自分が楽で気分がいい状態に、何十年もかけて落ち着いたものと言えます。

そんな自身の生活を一気に変えることは、大きなストレスもかかるし、そんなストレスのかかった状態が病気を治すのにベストな状態とは言えないのではないでしょうか。

生活習慣を変えることは大切なことですが、一気に変えようと思わなくてもいいのかもしれません。

あれもしないといけない…、これもしないといけない…、そう思っている時点でストレスがかかってはいないでしょうか。

良い生活習慣を送っていくということは、これまでとは異なる生活習慣を、病気が治るまで我慢し続ければいいというものではなく、この先一生続けていくものです。

つまり、もっと、気楽に、ゆっくりで良いのかもしれません。

頑張り過ぎるから、苦しい。

苦しいから、何度も失敗して続かず、結果が出ない。

頑張り過ぎないから、苦しくない。

苦しくないから、いつまででも続けられて、結果が出るのではないでしょうか。

もしかしたら、自分で自分を苦しめて、問題の解決を難しくしている場合もあるのかもしれません。

そもそも、生活習慣を変えたいのは、病気を治すための生命力を上げることが目的であり、健康的な生活習慣を単にこなすことが目的ではありません。

生活習慣というのは、運動、食事、睡眠だけではなく、働き方や人間関係なども含んだ、その人の人生そのものとも言えるものです。

生活習慣を変えるというのは、その人の人生そのものを変えていく、という行為に近いとも言えます。

これまでの、病気になるために進んできてしまった人生を、病気にならないように進んでいく人生に変えることなのかもしれません。

そして、これからの新しい人生は、自分で考え変えていかなければなりません。

人によっては、体を酷使してきた今までの人生を、体をもっといたわる人生に変えることなのかもしれません。

また、人によっては、いろいろと我慢し頑張り続けてきた人生を、もっと気楽に生きていくことなのかもしれません。

いや、気楽にやっていては何も変わらない…。

やっぱり、今の状況を抜け出すには、辛くても苦しくても頑張らないといけない…。

人によっては、そんな風に自分を追い込む自分自身を変えることなのかもしれません。

いずれにしても、病気になってしまった今の人生よりも、もっと幸せに日々を送っていくことなのかもしれません。

これは、人間社会において疲弊しきっている現代人にとって、最も重要なことではないでしょうか。

自然界の動物は、健康的な生活習慣を送ろうと思っているわけではなく、ただ自分の思うように生きているだけ、とも言えます。

病気を治すヒントは、自然界の動物の生活習慣だけではなく、その生き方そのものにもあるのかもしれません。

病気を治すことが、つらく大変なことをしていくものだと思うのではなく、むしろ、もっと幸せな人生を生きるために、これからできることをしていく、というように思えば、肩の荷も少しは楽になるのではないでしょうか。

また、病気からの闘いの申し出を、良い意味で正直に真に受けない事も大切です。

病気を治さなければならない、という病気が仕掛けてきたレースから抜け出すことが重要なことではないでしょうか。

自然界の動物は、病気を治そうと思って、病気と闘い病気を治しているわけではありません。

闘っているようで、闘っていない。

本人の意思では闘っていないけれども、カラダとしては闘っているということです。

よく使われる例えで言うのなら、呼吸をするのと同じことです。

誰も、空気を吸おうと思って息をしているのではなく、何も考えずに無意識で息をすることができています。

自然の理に従って生活をしていたら、いつのまにか自然に病気を治せていた、というような感覚に近いとも言えます。

自然界の動物の病気との闘い方に、学ばなければならないことがあるのかもしれません。




未来医療 人のもつ力が未来の医療を変える。

The Medical Future - Self-Care Medicine - / Copyright © John S. Doe All Rights Reserved.

目次( p. 1 - 158 )