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ストレスと、どう向き合うべきか?

p. 121( p.113 - 132 )




瞑想というのは、何も考えずに心を無の状態にすることではありますが、心を無にすることが本題では無いとも言えます。

ストレス思考を精神でコントロールして、ストレスを軽減できたとしても、この時点ではストレスの原因になっている自身の状況というものは何も変わってはいません。

もちろん、先にも述べたように、ストレスの軽減によって自然に問題が解決していく場合もあります。

しかし、ストレス思考をしないようにすることで、一時的な応急処置をしているだけであり、やはり問題となっているストレスの解決策(悟り)に達しなければならないと言えます。

釈迦は、瞑想によって心を無にしていただけで、悟りに達したのではありません。

心を無にした状態で、「なぜ、自分は苦しみから逃れられないのか」ということを自分に問い続け、自身の抱えている問題の解決策を求め続けた結果として、悟り(解決策)に達したと言えます。

ストレスの解決策を、ただ考えるということと、瞑想により心を無にした状態で解決策(悟り)を考えるというのは、結局は同じ行為をしているように思えます。

しかし、そこには大きな違いがあります。

何も考えずに、心を無にするということは、喜怒哀楽の感情さえもフラットな状態(無)にするということです。

瞑想をしながら問題の解決策を考えるということは、「無の感情で解決策を思考する」ということでもあります。

なぜ、感情を無にする必要性があるのかというと、もしマイナスの感情のまま解決策を思考すれば、それは、ただ単にストレスを増幅させるだけの思考になってしまう可能性があるからです。

また、もし解決策が導かれたとしても、正しい解決策ではなく、負の解決策を導いてしまう事もあるかもしれません。

例えば、死を選択するのは負の解決策の一つとも言えます。

自身の余計な感情が入ることで、客観的な判断をできなくなるとも言えます。

つまり、釈迦が伝えたかったのは、正しい解決策を思考するためのメンタルコントロール・メソッドだったのかもしれません。

心の乱れを沈め、感情を無にすることが瞑想の第一ステップであり、それは、無の感情で自身の問題を解決する方法を思考するという、本題に入る前の準備ステップとも言えます。

瞑想とは、ただ目を閉じて静かに座っているだけの行為ではないのかもしれません。

本題は、自身のストレスを解決する方法(悟り)を自分自身で見つける、ということになるのではないでしょうか。

釈迦は、そのために必要となるメンタルメソッドを伝えたかったのかもしれません。

もしそうであるならば、釈迦は自分と全く同じ悟りに達することを願っていたのではない、と言えます。

受けるストレスは時代によっても変われば、人によって何をストレスに感じるのかも異なります。

状況によって、ストレスの量も異なったり、あらゆることが個人個人で異なったりします。

提案された解決策が、ある人には効果があっても、別の人には効果が無いということもあります。

だからこそ、特定の解決策を伝えるのではなく、個人個人で自身の解決策(悟り)に到達することのできる方法を釈迦は伝えようとしていたのかもしれません。

つまり、悟りというのは神秘的な何かでは無くて、簡単に言えば、自身のストレスの原因になっている問題に対する解決策という事になります。

釈迦が生きた時代と現代では、時代があまりにも違うため、釈迦がたどり着いた悟りでは、当然現代では少し合わないこともあり得ることです。

そこまで考慮して、釈迦は、正しい解決策(悟り)を導くための方法の方を教えてくれているとも言えます。

ただ、自分と近い時代に生き、自分と同じような境遇の人が考えた解決策(悟り)は、世の中に数多く存在しています。

では、他人の解決策(悟り)を真似すれば、自分の解決策(悟り)を考えなくてもいいのでしょうか。




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