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ストレスと、どう向き合うべきか?

p. 120( p.113 - 132 )




自分でストレス思考をしないように、その思考を意識でコントロールする行為が瞑想とも言えますが、これは非常に難しい行為とも言えます。

だからこそ、庶民には、念仏を唱えるだけでいい、と言われていたのかもしれません。

念仏を唱えるということは、繰り返し口から言葉を出すということですが、その間は何も考えることはできません。

運動をしている時に複雑な物事を考えられないように、体を動かしている間は複雑な思考をすることが強制的にストップします。

念仏によって口を動かし集中している間というのは、瞑想をしている状態に近いとも言えます。

もしかしたら、念仏を唱えさすことによって、本人には無自覚の内に、瞑想に近い状態(ストレス思考をさせない状態)を作らせようとしていたのかもしれません。

ただ単に、庶民には理解できないだろうから念仏を唱えるように教えていたというわけではなく、念仏という行為は、瞑想というメンタルメソッドの簡易版とも言えるのかもしれません。

このような念仏のように、「祈る」という行為は、なにも仏教だけではなく、他の宗教においても存在するものです。

例えば、ある宗教によっては、一日に何回も礼拝を行うこともあります。

礼拝には、一連の決まった動作があります。

この動作によっても、ストレス思考をしない状態を作りだすことができているのかもしれません。

だからこそ、祈るという行為は、各宗教において、とても重要視されているのかもしれません。

人によっては、念仏を唱えたり、礼拝をしたりしたからといって、自身の抱えている問題が解決するわけではない、と思うこともあるかもしれません。

例えば、祈ったからといって、すぐに人間関係が良くなるわけではありません。

しかし、祈ることによって、ストレス思考が減り、ストレス自体が軽減されれば心も安定していきます。

それによって、心に余裕が生まれれば、人間関係が改善していく可能性も十分にあります。

また、祈ったからと言って、病気が治るわけではありません。

しかし、心の安定から、ストレスが軽減され、ストレスによって低下していた免疫力が回復すれば、間接的に病状が良くなってもおかしくはありません。

実際に、宗教を信仰することによって人間関係や病気が良くなるということは少なくありません。

宗教の祈るという行為は、科学的ではなく、怪しいスピリチュアルなもののように感じる人も少なくはありませんが、意外に大きな力をもっていると言えるのかもしれません。

むしろ、見方を変えれば、本人に意識させずに、問題を解決へと導こうとする、非常に高度な科学的アプローチと解釈することもできます。

とは言え、やはり宗教で祈ったとしても、問題が解決しないことの方が多いのは事実です。

瞑想で、ストレス思考を軽減できたとしても、多くの場合は根本的解決には成りえないとも言えます。

では、この問題を、釈迦は、一体どのように解決しようとしていたのでしょうか。




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