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ストレスと、どう向き合うべきか?

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仏教の概念は難しいけれど、苦しみからは逃れたい、という人に対して、その人のレベルに合わせた教え方をした宗派もあれば、釈迦のメソッドを、より忠実に伝えようとした宗派もあります。

より忠実に伝えることを目指した宗派の元をたどれば、禅(禅宗)というものにたどり着きます。

禅の開祖は、釈迦の死後約千年後に生まれた達磨(ダルマ)という仏教僧です。

念仏を唱える仏教よりも、約600年前の、もう少し歴史の古い仏教になります。

釈迦は様々な苦行をし、最終的には座禅(坐禅:姿勢を正して坐った状態で精神統一を行う、基本的な修行法)をして瞑想に入り、悟りに達しています。

ということは、座って心を落ち着かせ、「なぜ、自分は苦しみから逃れられないのか」ということを、自分自身に問いていくこと(瞑想)が、悟りに達するために最も重要なことではないか、と達磨は考えたのかもしれません。

達磨は、釈迦のメンタルメソッドの核となるような部分を、人々に伝えていったとも言えます。

釈迦のように悟りに達する事ができれば、苦しみから逃れられるとも言えますが、釈迦が悟りに達するために行った「瞑想」というのは、一体何なのでしょうか。

様々な瞑想の仕方が考案されていますが、一つ例を挙げるとすれば、以下のようになります(1)

まず、座って目を閉じて、動かず、体をリラックスさせます。

心を穏やかに何も考えないように、自身の「呼吸」にだけ集中します。

息を吸ったり、吐いたりする、カラダの一連の動作にだけ意識を集中させます。

本来、人間は無意識で呼吸をしていますが、そうではなくて、意識的に呼吸をするという事になります。

心を無にする、とも言われている行為をしていきます。

何も考えずに自身の呼吸に意識を集中させるだけ、とも言えます。

しかし、いつの間にか、呼吸に集中していた意識が途切れ、自身のストレスに関することに思いを巡らせている自分自身に気づくことがあります。

何も考えないようにしているはずなのに、何かを思考してしまっている自分に気づいたら、また自分の呼吸に意識を集中させて再度、心を無にしていきます。

これが、瞑想という行為の一つになります。

理屈ではなく、実際に体験してみて、はじめてわかることがあります。

それは、何も考えない状態を長時間維持することは、非常に難しいことであるということです。

裏を返せば、日常の中のふとした瞬間に、ストレスになるような思考を無意識にやっているということになります。

暇な時間ができれば、自分自身の不幸について考えてしまうのが人間です。

何も考えずに、ボーっとしているつもりでも、何かを考え、本当に何も考えていない時間というのは、一日の中で、ほんのわずかなのかもしれません。

つまり、瞑想で何をさせたいのかというと、ストレス思考をしない時間を作らせたい、ということであるとも言えます。

ストレス思考によって、ストレスは増幅していくため、その行為自体を、意識のコントロールによって強制的に回避しています。

ストレス思考を回避することで、ストレスを軽減しようとしているのかもしれません。

また、それと同時に、どんどん加速しエスカレートしていくストレス思考を止めるための役割もあります。

例えるなら、お湯が沸騰する前に火を止めて、冷ますような行為に近いとも言えます。

体や心がオーバーヒートする前に、一旦リセット(初期化)し、様々な乱れを鎮めようとしているのかもしれません。

釈迦が伝えようとしていたのは、一つは、ストレスを抑制したり軽減したりする方法だったのではないでしょうか。

では、なぜ庶民に対して広まったのは、瞑想ではなく念仏だったのでしょうか。




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