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ストレスと、どう向き合うべきか?

p. 122( p.113 - 132 )




悟りは、人の思考の数だけ存在するため、解決策も人それぞれであると言えます。

しかし、世の中は、最も優れた唯一の解決策を求めようとしてはいないでしょうか。

世間には、ストレスの解決法があふれていますが、それは誰かが到達した解決策(悟り)の一つに過ぎません。

誰かが考えた無数の解決策の中から、最も優れたものを探し出し、それで自身の問題が解決しなければ、また別の人の解決策を探す、ということを、私たちは繰り返し続けてはいないでしょうか。

もっといい方法がある、と考えてはいないでしょうか。

自分が考えたものではなく、自分よりも頭の良い人が考えたものが最善の解決策と思ってはいないでしょうか。

もしそうであるならば、釈迦は、解決策(悟り)に達するメソッド(方法)ではなく、解決策そのものを人々に伝えるはずではないでしょうか。

また、達磨も、釈迦のメソッドにフォーカスするのではなく、具体的な解決策を人々に伝えていくはずです。

結局は、自分自身で納得のできる答え(悟り)を導き出さなければ、意味が無いということなのかもしれません。

そうは言っても、自分で素晴らしい解決法を見つけることができるわけがない、と思う人もいるかもしれません。

しかし、自分を苦しみから解放してくれる解決策というのは、他人の頭の中にあるわけではなく、自分の答えというのは自身の頭で生み出さなければならないものなのではないでしょうか。

何度も何度も、「なぜ、苦しみから逃れられないのだろうか」と問い続けることで、釈迦がたどり着いた答え(悟り)は、一体どこにあったのでしょうか。

その答えは、釈迦自身の心の中にあったと言えます。

つまり、自身の求める答えというのは、自分自身の中にあるということです。

人によっては、自分の中にそんな答えは無い、と思う人もいるかもしれません。

確かに、すでに完成された完璧な何かがあるというわけではありません。

本当は、何もあるわけではないのかもしれません。

誰しもが、初めは何も答えを持っているわけではないのではないでしょうか。

悟り(答え)は、何もないところから自分で考えて導き出すものであり、それは自分の思考の中に生み出されるものであるため、逆説的に考えれば、答えは頭の中(自分の心の中)にあるということを意味しているのかもしれません。

解決策(悟り)は、すぐには見つからないかもしれません。

それでも、自分の心の中に探し続けることによって、いつかは見つけることができる、ということを釈迦は伝えたかったのかもしれません。

誰もが、その解決策(悟り)とは一体何なのか、ということをすぐに知りたいものです。

ですが、それは、個人個人の心の中で生み出されるものであるため、他人が教えることができないものなのではないでしょうか。

答え(悟り)を教えることはできませんが、その答えを導く方法だけは教えることができるということなのかもしれません。

だからこそ、この「悟りに達する」という感覚を伝えることは、非常に難しいと言われています。




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