これまでに、人間のカラダに関して様々なことを述べてきましたが、自然界の状態(自然の理)から離れれば離れるほど多様な問題は生じていると言えます。
逆に言えば、自然の理(ことわり)に近づけるほど、正解に近づくと考えることもできます。
本来、自然界において病気になれば、何も治療することはできないし、助かる時は助かる、また死ぬ時は死んでしまうものです。
その時の病気の状態や生物の生命力によって、たどり着く結末は様々です。
これが、自然の理です。
人間の手によって体をいじることで治療をする、という現代医療は、自然の理から外れた行為であるとも言えます。
自然界のルールを破るということは、それなりの代償を払わなければならないのかもしれません。
もちろん、ルールを破ったとしても、助けることができてしまう病気の場合は、その方法で助けた方がいいと言えます。
しかし、治すのが難しい病気の場合は、できるだけ自然界のルールに従っておいた方が、様々なことを含めて最も苦しむことなく、最も自然なカタチで人生を終えることができるのかもしれません。
病気で困っている人を治療しないというのは、悪のように思う人もいるかもしれません。
ですが、治療によって命を助けるということが善であるというのは、人間の世界における考え方と言えます。
本当は、善や悪という認識が存在するわけではありません。
多くの人間が善であると考えているから、人の命を助けるために治療をするということが善であるとも言えます。
何が善であるのかというのは、本人の置かれる立場や状況などによっても変わってきます。
もちろん、治療によって助けることができたのなら、それは善と言えるのかもしれません。
ただ、もし助からなかったら…。
治療によって、つらい思いを長引かせてしまった行為というのは、本当に善なのかと考えさせられることもあるのではないでしょうか。
何もしなければ、苦しい思いをしたとしても、それは短い期間で済んだかもしれません。
特に、治すのが難しい病気というのは、このような結末を辿る患者は少なくはありません。
また、今の医療では、死ぬはずだった命を助けて、一命を取り留めることができます。
しかし、意識はほとんどなく、家族との意思疎通はできず、手足は動かず、食べ物を自分で飲み込むこともできないとしたら…。
術後の合併症からの回復を経て、家族が面会できるようになった際には、もう、ただ装置に生かされているだけの状態であったとしたら…。
それは本当に正しいことなのでしょうか。
もちろん、それでも命が助かって良かったと思う人もいるかもしれませんが、こんなことは望んでいなかったと思う人もいるかもしれません。
ですが、その時には、もう自分の意思を伝えることさえできず、悲しんでいる家族の声をただ聞くことしかできないこともあります。
そして、家族は患者のために膨大な時間とお金をかけて世話をし続けなければならないこともあります。
まだお金があれば、十分な介護を提供してもらうということもできますが、それができる人ばかりでもありません。
患者は、そんな自分のために家族に苦労をさせたくないと思うこともあるかもしれません。
もう、こんなに辛い思いが死ぬまで続いていくのであれば殺してほしい、と思うこともあるかもしれません。
もし、家族が患者の意思を汲み取れたとしても、その願いを叶えることは簡単にできることではありません。
毎回、家族が面会しても、患者は何の反応もなく、ただベッドでずっと眠っているだけ…。
毎回会うたびに、ただただ、悲しい…。
この状況は、一体何をしているのだろうか…、と家族は思うこともあるかもしれません。
それでも…。
後で外すこともできるからと言われ、医師に提案されて始めた延命処置を、もう辞めることもできない…。
辞めれば死んでしまうのは、わかっている…。
まるで患者を殺してしまうような行為を、家族が選択することはできるでしょうか。
では、もし患者が医師に頼むことができたのなら、殺してもらうことができるのか。
それもできないと言えます。
なぜなら、命は何よりも大切なものであり、奪ってはいけない、という常識が存在するからです。
もし、この常識に反することをすれば、法に裁かれたり、冷酷な人、心の無い人だと世間に言われたりする…。
どんなに地獄のような苦しみだったとしても、患者を生かさなければならない…。
人類は、その歴史の中で、自分たちの命の価値を重くし過ぎてしまったことで、その重さにも苦しむようになってしまったのかもしれません。
国によっては、死ぬ権利というようなものが認められている場合もありますが、まだまだ多くの国ではそうではありません。
治療をせずに自然に死んだ場合と、治療により延命したことで耐え難い苦しみを与えてしまった場合では、一体どちらが悪なのでしょうか。
もちろん、患者の命を助けようとした医師や医療関係者が悪いわけではありません。
患者や家族は治ると思って治療を受け、医師は治せると思って治療をする…。
医師も患者も家族も、全員が正しいと思ったことをしたとも言えます。
また、簡単な手術と言われていたのに、なぜか術後に病状が急変し、帰らぬ人となってしまうような医療ミスが起こることさえもあります。
もし、医師が何かを失敗し、本当に患者を殺してしまうようなことがあったとしても…。
医師という立場上、自分のせいで患者を殺してしまいましたと家族に説明することなんて、できるわけがない…。
医師が本当のことを伝えたいと思ったとしても、病院側が不利になるような発言を許すこともできず、やむを得ず嘘がつかれることもあります。
患者の家族には、何があったのか本当のことを確かめることもできないし、医師の言葉を信じ、最善を尽くしたけれども残念な結果になってしまったということを泣きながら受け止めるしかない。
でも、やっぱりおかしいと言って患者の家族が追求すると、病院側の嘘がバレて、医療ミスがニュースになることもあれば、それでも嘘がまかり通ってしまうこともあります。
一体、誰が、何が悪かったのでしょうか…。
このような話は挙げればキリがありませんが、人間社会というシステムや個人個人の立場、社会の様々な常識やルールにとらわれる中で、私たちは余計な苦しみや悲しみをも背負ってしまっているのではないでしょうか。
なぜか、みんなが不幸になってしまっていることもあるのではないでしょうか。
治療さえすれば、病気は治り元の生活に戻れると患者は思いますが、必ずしもそうなるとは限りません。
誰もが死にたくないから治療をするわけですが、それによって、ただ普通に死ぬことよりも辛いことを受け入れなければならないこともあります。
患者だけではなく、患者の家族や医師、介護を担当する医療関係者といった周りの人たちも苦しむこともあります。
特に、治すのが難しい病気の場合はなおさらです。
もう始めから何も治療しなければよかったのではないかと思うほどの状況に陥ることもあるのが今の現代医療であり、今の現代社会なのかもしれません。
大切な人と死に別れることは、とても辛く悲しいことですが、それよりも辛く悲しいことが現代社会では起きています。
元々は病気を止めるだけの力であった医療を、いつしか病気を治せる力だと誤解し、希望を抱き、自分自身の力を過信したことによって人類は自ら苦しんでいるとも言えます。
医療レベルの低い昔であれば、このような複雑な問題はなく、現代のように苦しむこともありませんでした。
人類が医療を発展させたことによって助けることのできる命も増えましたが、逆に命を余計に苦しめ、それに伴い、人間社会全体で私たちは苦しみ合ってしまう様なことも増えたのではないでしょうか。
これも、人類が自然の理から外れた結果によって生じたものとも言えます。
そして、人類は全てを理解している存在ではなく、自然界のルールを破った時にどうなるのかということを、すべて把握できているわけではありません。
だとすれば、治すのが難しい病気においては、できるだけ自然界のルールを守っておいた方が賢明なのではないでしょうか。
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では、自然の流れに身を任せ、自然の理に従って人生を終えるしかないのでしょうか。
私たちは、治すことが難しい病気に対して、何もできなかったでしょうか。
ただ自然の理に従うだけではなく、生活習慣の改善によって、自身の生命力を高めようとすることはできるはずです。
生活習慣を改善する(自然界の状態に戻す)という行為は、自然界のルールからも外れないものです。
むしろ、人間は、「自然界のライフスタイルから離れすぎてはいけない」というルールを破り、自ら本来のライフスタイルを外れ、その結果として病気になっているとも言えます。
そして、「体をいじりすぎてはいけない」という2つ目のルールを破って、治せない病気を治そうとしていると考えることもできるのではないでしょうか。
もし、治すことが難しい病気を治せる確率の高い方法があるのだとしたら、体をいじりすぎずに、生活習慣の改善によって、自然の理を守ることなのかもしれません。
なぜなら、「何も治療しない」という様な現代医療とは真逆の行為には、今の現代医療が導くものとは全く別の結果が待っている可能性が高いとも言えるからです。
もしかすると、全く別の結果というものが、奇跡と呼ばれるようなものなのかもしれません。
もちろん、これが唯一の正解ではないし、あなたにとって間違っている可能性も十分にあります。
あくまでも、一つの考え方(筆者にとっての現時点における悟りの一つ)にしか過ぎません。
そして、この悟りも時代と共に古くなっていくものです。
未来でも人類は同じようなことで悩んでいるかもしれないし、今の人類の選択によっては、もうこんな悩みは無くなっていることもあるのかもしれません。
ただ、上記のような自分自身で自分なりの考え方を導き出せた時に、自身で納得できる選択や行動を起こすことができるのではないでしょうか。
治療をするのかしないのか迷っていた自分に、万人にとっての正解ではなく、自分自身にとっての正解(本当の答え)を出すことができるのかもしれません。
未来医療 人のもつ力が未来の医療を変える。
The Medical Future - Self-Care Medicine - / Copyright © John S. Doe All Rights Reserved.
目次( p. 1 - 158 )
-
まえがき
p. 1 -
医師が病を治すのではなく、カラダが病を治す。
p. 4 - 5 -
なぜ、薬が病気を治すと信じる世界になったのか?
p. 6 - 8 -
今、本来の概念に戻す時が来ている。
p. 9 - 11 -
病気を治せる薬は存在しない。
p. 13 - 15 -
薬を飲み続けても病気は治らない。
p. 16 - 17 -
病気が治るのを薬が邪魔することもある。
p. 18 - 20 -
薬は様々なリスクを伴う。
p. 21 - 23 -
現代医療の本質とは何か?
p. 25 - 27 -
現代医療の真意は、病気を止めること。
p. 28 - 29 -
現代医療とは、あくまでも病気を治すサポート。
p. 30 - 31 -
カラダをいじればいじるほど問題が起きる。
p. 33 - 35 -
あと、どれだけの薬を作り続けなければならないのか?
p. 36 - 38 -
医療が発展しないジレンマ。
p. 39 - 41 -
病気とは、異物。
p. 44 - 47 -
病気とは、体内システムの異常。
p. 48 - 50 -
病気とは、体の許容オーバー。
p. 51 - 52 -
なぜ、人は病気になるのか?
p. 53 - 54 -
問題の本質を解決するということ。
p. 56 - 57 -
自然界の状態に戻すということ。
p. 58 - 60 -
当たり前のことをするということ。
p. 61 - 63 -
世界最高のテクノロジーとは何か?
p. 65 - 67 -
人のもつ力が未来の医療を変える。
p. 68 - 70 -
未来のテクノロジーとは、概念そのもの。
p. 71 - 74 -
はじめに
p. 77 -
データを根拠にしない理由
p. 78 - 80 -
運動 ― 動物は、動くもの。
p. 81 - 84 -
食事 ― 命そのものを食べる。
p. 85 - 93 -
睡眠 ― 危険が無いから眠れる。
p. 94 - 100 -
自然環境 ― 過酷な環境が生命を強くする。
p. 101 - 103 -
病気になる最大の理由
p. 105 - 107 -
ストレスとは何か?
p. 108 - 112 -
ストレスと、どう向き合うべきか?
p. 113 - 132 -
はじめに【重要】
p. 135 -
第一節 いかにして戦わずに勝つか。
p. 136 -
第二節 勝つ意思のある者が勝つ。
p. 137 - 138 -
第三節 強い相手だと思ったら、戦わない。
p. 139 - 140 -
第四節 守りを固めて待つ。
p. 141 - 142 -
第五節 病気になった理由を考える。
p. 143 - 145 -
第六節 肩の力を抜いて、気楽に。
p. 146 -
第七節 治療をする場合は、一瞬で。
p. 147 -
第八節 ほんの少しの治療で止める。
p. 148 -
第九節 病気に止めを刺さない。
p. 149 -
第十節 病気と仲間になる。
p. 150 -
第十一節 治療をするか迷ったら。
p. 151 - 154 -
自分の病気を治すための最善の方法
p. 156 -
さいごに
p. 157 - 158
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未来医療 人のもつ力が未来の医療を変える。
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Copyright © John S. Doe All Rights Reserved.