では、なぜ、科学的に検証されたデータが、間違ってしまう事があるのでしょうか。
科学的に証明されているのであるから間違いはない、という考え方自体が間違っているのかもしれません。
本来、得られたデータというものには、正しいも正しくないも、良い悪いという概念もあるわけではなく、特定の条件下において、ある出来事が、ただ起こっただけであるとも言えます。
その出来事に対して、実験や検証を行った人物が個人的な結論を導き出した時点で、良い悪いというような概念が発生してしまいます。
最終的に、すべてを理解しているわけではない人間というものが結論を出しているため、間違ってしまうということは当然起こりえることです。
また、データというものは、限られた視点から、ごくわずかな領域を解き明かしたものでもあります。
別の視点から見れば、また違ってくるとも言えます。
例えば、円柱を真横から見れば縦長の長方形に見えたとしても、真上から見れば、円に見えるような話でもあります。
Aという視点から見れば、Aという結論が導き出されますが、Bという視点から見ればBという別の結論が導き出されます。
同じものを見ていても、視点が少し変わるだけで、全く別の結論が導き出されることもあります。
しかし、どちらの結論も間違っているわけではなく、観測した視点においては、どちらも正しいものであるとも言えます。
視点を変えた研究が行われれば、別の新しい結論というものは出てきます。
今現在、得られている多数の結論を元に、それらの情報から暫定的な結論を出すのも、また人間です。
結論を導くために使用した情報の何かが間違っていれば、それらから導いた結論も間違ったものになることはあり得ることです。
だからこそ、間違った判断をしてしまう事もあるのではないでしょうか。
特に人間のカラダは、まだよくわかっていないことも多く、人間のカラダに関するデータの解釈を誤ってしまうということは無理もない話なのかもしれません。
さらに、世界中の多くの研究者たちが正しいと言っていても、みんなで一緒に間違っていることもあります。
研究者が周りからの期待やプレッシャーを受けている場合、望んだデータが出ない原因を、自分を肯定するような理屈で説明してしまう事もあります。
例えば、子どもが自分の立場が悪くなった時に嘘をついてしまうようなものです。
それは大人も同じです。
もちろん、大人は嘘をつくことは良くないことであると教えられるため、ほとんど嘘をつくことはありませんが、子どもよりも知識がある分、バレない様に嘘をつこうとする場合があります。
その嘘がバレて問題になるというようなことは、世間でもよくあることです。
逆に言えば、バレていない嘘が存在する可能性はゼロではありません。
それから、研究者の個人的な考えによって、無意識の内にフィルターがかかってしまうという事もあります。
「結論はこうあるべきだ」という潜在意識下にある強い思いが実験結果に影響を及ぼすことさえあります。
例えば、悪い結果が出た時に、自分の望む結果が出ないのはおかしいと言って、良い結果が出るまで実験を繰り返すこともあります。
まるで、自分の望むサイコロの目が出るまで、サイコロを振り続けるようなものとも言えます。
逆に、良い結果がすぐに出れば、自分の仮説は正しかったと思い、その結果を疑うことなく簡単に受け入れてしまう事もあります。
基本的には、余計な要因が入らないように、実験や検証というものはデザインされますが、それも人が行うことであるため完璧ではありません。
特に人間のカラダに関する実験においては、被験者個人のライフスタイルまで完璧に条件を揃えることは難しいため、得られたデータには、予期せぬノイズが含まれている可能性や考慮しきれない要素も残ります。
また、何かの商品をより販売するために、データを取得し、販売に都合の良いようにデータを解釈し、結論が導き出されてしまう場合も少なくはありません。
資本主義経済において、データというものが変なカタチで報告されてしまう事もあります。
もちろん不正なデータをわざと作ろうとしているわけではありませんが、研究者本人も無意識の内に良いデータを作り出してしまっている場合もあり得るということです。
一方で、意図的に不正なデータが生み出されることもあります。
例えば、上司の機嫌をとった方が出世できたり、研究予算がもらえたりするのであれば、科学者は上司の意向に沿うようにデータやグラフの見せ方・伝え方を工夫することもあるかもしれません。
上司は、その間違ったデータの解釈を正しいものだと信じ、堂々と世間に公表する…。
信頼されている国際的機関や国の組織から誤情報が発表され、それがまかり通ってしまうことさえあります。
国民は、何の疑いもなく、それを信じる…。
たとえ、誰かが間違いに気づき声を上げたとしても、多くの人は国際機関や国の方(大きい方)を信じるのではないでしょうか。
このようなことは挙げればキリがないことです。
ですが、人間社会には、個人の立場や様々な行動、社会の風潮や国の意向、政治家や企業、金融業界の思惑…などがあります。
人間というもののあらゆる面を考慮した場合、科学的根拠のあるデータというものは、どうしても歪まざるを得ない時もあるのではないでしょうか。
これは、今の資本主義社会の構造上、ある程度避けられない現象であるとも言えます。
このように、データというものは、完璧なものではないということを認識した上で参考にするべきものなのかもしれません。
決して、すべてのデータが信用できないというわけではなく、正しくないこともあるという事を考慮しておけば、様々なリスクを軽減できるのではないでしょうか。
未来医療 人のもつ力が未来の医療を変える。
The Medical Future - Self-Care Medicine - / Copyright © John S. Doe All Rights Reserved.
目次( p. 1 - 158 )
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まえがき
p. 1 -
医師が病を治すのではなく、カラダが病を治す。
p. 4 - 5 -
なぜ、薬が病気を治すと信じる世界になったのか?
p. 6 - 8 -
今、本来の概念に戻す時が来ている。
p. 9 - 11 -
病気を治せる薬は存在しない。
p. 13 - 15 -
薬を飲み続けても病気は治らない。
p. 16 - 17 -
病気が治るのを薬が邪魔することもある。
p. 18 - 20 -
薬は様々なリスクを伴う。
p. 21 - 23 -
現代医療の本質とは何か?
p. 25 - 27 -
現代医療の真意は、病気を止めること。
p. 28 - 29 -
現代医療とは、あくまでも病気を治すサポート。
p. 30 - 31 -
カラダをいじればいじるほど問題が起きる。
p. 33 - 35 -
あと、どれだけの薬を作り続けなければならないのか?
p. 36 - 38 -
医療が発展しないジレンマ。
p. 39 - 41 -
病気とは、異物。
p. 44 - 47 -
病気とは、体内システムの異常。
p. 48 - 50 -
病気とは、体の許容オーバー。
p. 51 - 52 -
なぜ、人は病気になるのか?
p. 53 - 54 -
問題の本質を解決するということ。
p. 56 - 57 -
自然界の状態に戻すということ。
p. 58 - 60 -
当たり前のことをするということ。
p. 61 - 63 -
世界最高のテクノロジーとは何か?
p. 65 - 67 -
人のもつ力が未来の医療を変える。
p. 68 - 70 -
未来のテクノロジーとは、概念そのもの。
p. 71 - 74 -
はじめに
p. 77 -
データを根拠にしない理由
p. 78 - 80 -
運動 ― 動物は、動くもの。
p. 81 - 84 -
食事 ― 命そのものを食べる。
p. 85 - 93 -
睡眠 ― 危険が無いから眠れる。
p. 94 - 100 -
自然環境 ― 過酷な環境が生命を強くする。
p. 101 - 103 -
病気になる最大の理由
p. 105 - 107 -
ストレスとは何か?
p. 108 - 112 -
ストレスと、どう向き合うべきか?
p. 113 - 132 -
はじめに【重要】
p. 135 -
第一節 いかにして戦わずに勝つか。
p. 136 -
第二節 勝つ意思のある者が勝つ。
p. 137 - 138 -
第三節 強い相手だと思ったら、戦わない。
p. 139 - 140 -
第四節 守りを固めて待つ。
p. 141 - 142 -
第五節 病気になった理由を考える。
p. 143 - 145 -
第六節 肩の力を抜いて、気楽に。
p. 146 -
第七節 治療をする場合は、一瞬で。
p. 147 -
第八節 ほんの少しの治療で止める。
p. 148 -
第九節 病気に止めを刺さない。
p. 149 -
第十節 病気と仲間になる。
p. 150 -
第十一節 治療をするか迷ったら。
p. 151 - 154 -
自分の病気を治すための最善の方法
p. 156 -
さいごに
p. 157 - 158
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未来医療 人のもつ力が未来の医療を変える。
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