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さいごに

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さらに、自分自身で答えを見つけてもらおうとしているのには、もう一つ別の意図があります。

それは、未来の医療を、もっとより良いものにしていくということです。

個人や少数派の人たちが、こうした方が医療はもっと良くなる、と語ったところで、世界を簡単に変えることはできません。

少数派の意見が正しいことがあるかもしれなくても、多数派が推進する医療が延々と続いていきます。

しかし、少数派の意見も取り入れて柔軟に対応していかなければ、間違ったまま進んでいくリスクも存在します。

では、どうすれば世界の医療は、もっとより良いものになるのでしょうか。

それは、人々が未来の医療を想像することにある、と言えます。

個人個人が未来の医療を想像したところで、何の意味があるのか、と思う人もいるかもしれません。

未来のことは誰にも分らないし、どんな風に予想しても外れるかもしれない。

例え、想像したところで、個人の考えに何ができるのか…。

未来を予想し的中させることが目的でもなければ、人々が考えた優れた未来を、みんなで共有することが目的でもありません。

ただ未来を想像してほしい、ということです。

なぜなら、それが未来になるからです。

未来はどうなるかわかりませんが、今の資本主義社会が続く限り、人々が望むものが提供され続けていきます。

資本主義経済において、人々は望むものには、お金を払うが、望まないものには、お金を払うことはありません。

だからこそ、資本主義である今の社会は、人々が望むものを提供し続けていかざるを得ないと言えます。

人々の望みに合わせて、社会は自ら変化していかなければなりません。

これは医療においても同様です。

つまり、人類がどんな未来を望むのかはわかりませんが、多くの人々が望んだことが未来の医療になります。

逆に、こういう医療はこれからもしてほしい(賛同)、こういう医療はできればしてほしくない(提案)というような意思表示をしなければ、どうなるでしょうか。 その場合、少しおかしな医療が提供され続けていくことにもなります。

というよりも、もうすでに、おかしくなっているとも言えます。

全てがおかしいというわけではなく、正しいものの中におかしなものも混ざっていく…。

例えば、ある薬は副作用が強すぎて患者を苦しめるだけだから、医師も使用しなくなった薬があるとします。

国民も、そのことを理解しているので、その薬を売ったとしても誰も買う人はいません。

ところが、自国では誰も買わない薬であっても、まだその薬で病気が治ると思い込んでいる他国では、その薬は売れます。

そうなると、他国にその薬を売るようになり、他国も国家間の力の関係上、おかしなことをしているのをわかっていても、政府はその薬を買わざるを得ない時もあります。

また、ある治療法は、命は繋ぎとめるけれど、まるで患者を虐待するかのような状況に陥らせる場合もあったとします。

どう考えても、人間が人間にしていいような行為ではなかったとしても…。

その治療を行うことで、より利益が稼げるのであれば、当たり前のように残酷な行為は行われることもあります。

人によっては、なんでそんなにひどいことをするのか…、人の気持ちがわからないのか…、というように思う人もいるかもしれません。

政治家や医師などの職業というのは、たくさん勉強してなっているものであり、多くの場合、彼らは頭がいいと言われている人たちです。

そのため、自分たちがおかしなことをしているという事には気づいており、すべてを理解した上で、おかしなことをしている時もあるのではないでしょうか。

ただ、その誰もが、したくてやっているのではなく、本当はしたくないけれど、しなければならないからやっているとも言えます。

例えば、学校のクラスで、いじめが起きているとします。

いじめは良くないことだと思ったとしても、そのいじめを止めたら、今度は自分がいじめられるかもしれない…。

そう思ったら、いじめを見て見ぬふりをすることは良くないし、それはおかしなことだと分かっていたとしても、自分を守るために、そのおかしなことをしなければならない…。

社会も同じで、自分ではおかしいと分かっていても、自分や家族の生活を守るために…、今ある幸せを守るために…、おかしなことをしなければならないことはあるのではないでしょうか。

これは、医療に限った話ではなく、農業、漁業、製造業、飲食業、インフラ、マスコミ、広告業、金融業、商業、運送業、福祉・教育といったサービス業、司法、政府、警察…など、ありとあらゆる分野、人類の活動すべてに共通して言えることです。

もちろん、そんな中でも、利益よりも大切なものがある…というような正義感をもって、声を上げ立ち向かおうとする人もいます。

ですが、そんな勇気ある声も、社会の中で簡単に搔き消されてしまうことの方が多いとも言えます。

誰でも、明らかに正しいことを言っていても、自分の発言が、なぜか通らなかった、というような経験はあるはずです。

そして、私たちは日々、どうしてこんなことをしなければならないのかと疑問を抱きながらしていることが、一つや二つはあるのではないでしょうか。

何かが、おかしい…。

資本主義という社会システムの中で、利益が減るのであれば、その問題(プログラムのバグ)を修正するような力が働きます。

この力は、お金がたくさん生まれるものほど大きくなります。

特に、人の生き死にに関わる医療というものは膨大なお金が生まれるサービスであり、それに反発するようなことをすると、ものすごく大きな力で押さえつけられます。

問題を指摘しても、まるでそれは問題ではないかのように無効化・無力化される…。

おかしなことを変えたくても変えられない…、そんな状況とも言えます。

もはや、国を動かすような政治家などの頭のいい人たちに任せていれば何とかなるというようなレベルの問題でもないのかもしれません。

なぜなら、私たちが相手にしているのは、実体のない資本主義という地球規模の社会システムそのものであるからです。

どうして、こんなことになったのか…。

これは、誰かが仕組んだわけではありません。

もちろん、小さな視点で見た場合、特定の誰かや集団の陰謀というような見方もできますが、大きな視点で見れば、それも大きな社会システムの歯車の一つに過ぎません。

誰のせいというわけでもなく、気づいたら私たち人間の社会は、そうなっていたとも言えます。

一人一人が、ただ幸せを求めただけ…。

みんなが幸せを求めたら、こんなおかしなことになってしまった…。

この世に生まれ、幸せを求めない人はいないため、これからもどんどんおかしなことになっていくのかもしれません。

おかしな世界で人は苦しみ、人によっては壊れてしまう事もあります。

そんな世の中の現在の医療において、医師に全てを任せた場合、どうなるでしょうか。

医師に全てを任せていれば一番いいようにしてくれる…、ベストを尽くしてくれる…、と思う人もいるかもしれません。

もちろん医師はベストを尽くしてくれます…。

ただし、時と場合によっては、そのベストというのは、利益が最大になるためのものかもしれません。

これは、あなた(患者)にとってのベストではないこともあり得るという事です。

お金をたくさん払えば、最善と言われている高度な医療が提供されますが、それが本当に最善になるとは限りません。

特に、大きなお金が動くことになるような高齢者や治すことが難しい病気ほど、そういった状況になる可能性は高くなるとも言えます。

先にも述べたように、こんなことを医師はしたくてしているわけではなく、もしかしたら、医師の提案を、あなたが拒んでくれることを望んでいる場合もあるかもしれません。

あなたが断ってくれさえすれば、したくないことをしなくて済む…。

だからこそ、どういう治療をするのかという事を医師に丸投げするのではなく、自分でも調べ考えて選択していくことが大切なことなのではないでしょうか。

仕方ないから患者には勧めるけれど、医師本人はしないというような薬や治療法は存在します。

何かおかしなことを提案されているのではないかと感じたら、おかしいと言ってもいいのかもしれません。

もちろん、声を上げて戦う必要は無く、ただ自分の意志表示をすればいいとも言えます。

資本主義において、意思表示をするという事は、あなたのお金を何に使うのかを選ぶという事です。

医療の中に潜む、おかしなことを見極め、自分自身を守るために、それにはお金を使わない。

私たちが「お金」を与えないという事は、そのおかしなことに「力」を与えないという事でもあります。

そうすれば、資本主義において、おかしなことは力を徐々に失い、まるで売れないものが消えていくように自然と無くなっていくのかもしれません。

では、どうやって、そのおかしなことを見極めるのか…。

何がおかしいのかという事は、国によっても時代によっても違います。

実はおかしい事なのに、まるで全くおかしなことではないかのように子供の頃から思わされていることもあります。

また、自分がおかしいと思っていても、本当は正しいという時(自分の方が間違っている時)もあります。

もちろん、今話している筆者の考え方自体が間違っていて、おかしいという事さえあります。

だからこそ、自分自身が成長して、自分の力で気づかなければなりません。

いや、今の時点でおかしいことがわかっているのなら、それを教えてほしいと思う人もいるかもしれません。

ですが、その答えを記せば、社会は対応や対策を取ろうとするのではないでしょうか。

社会システムにバレないように、私たちは社会の矛盾に気づく必要があります。

そして、その矛盾に気づいても、まるで気づいていないふりをすることも大切なことなのかもしれません。

また、自分の力で気づくから、人は変わることができます。

一人一人が変わることで、多くの「人」によって構成される人間社会も変わるのではないでしょうか。

これまで人類は多くのことに気づき、成長してきました。

奴隷や差別…、同じ人間であるはずなのに人としての権利が無い人たちがいた時代もありました…。

世界中で戦争をして、同じ人間同士で殺し合い続けていた時代もありました…。

現代から見れば、まるで子供のようなことを人類はしていたとも言えます。

もちろん、今でも差別はあるし、戦争も起きたりしますが、昔よりは随分とましになったのではないでしょうか。

もし今、「差別をしたり、戦争をしたりすることは良くない。そんなおかしなことは、もう止めよう。」と発言したとしたらどうなるでしょうか。

その人が責められたり、文句を言われたり、いじめられたり、殺されたりすることはほとんどありません。

そんなことは、現代の多くの人々にとっては当たり前のことです。

なぜなら、人類の多くの人が間違っていたことに気づき、成長したからではないでしょうか。

医療というものも個人個人が成長し、人類全体が成長することで問題は少しずつ良くなっていくのかもしれません。

世の中には様々なモノやサービスがありますが、医療というものも、その「サービス」の一つです。

本来、消費者は自分にとって必要なサービスを慎重に考え選択するため、それによって、より良いサービスが生まれていきます。

一方、与えられたサービスを消費者が、ただ受動的に選択しているだけでは、そのサービスは革新的な変化を起こしにくいと言えます。

今の医療というのは、医療を提供する側が最善と思っている医療を患者に提供し、患者は提案された医療をそのまま受け入れてしまっていることも少なくはありません。

それは、医療というものが専門的なもので、知識のない患者にとっては、しょうがないことなのかもしれません。

そして、今のこの状態は、医師が悪いわけでも患者が悪いわけでもなく、善も悪も無く、人類がたどり着いている今の状態(通過点)という、ただそれだけのことです。

しかし、このような一方通行の状態よりも、双方向に意思表示をし合える状態にした方が、医療はより発展していくのではないでしょうか。

そして、患者が、提案された医療に対して、しっかりとした意思表示をできるようにするためには、自分の中に自分なりの考え方を持つことが必要になります。

だからこそ、本書では、読者に、自分自身で自分なりの考え方(答え)を見つけてもらうための材料を提供するようにしています。

決して答えを記そうとしているのではなく、あくまでも読者が答えを導いていくための一つの考え方を記しているだけに過ぎません。

次の世代を生きる子供達のためにも、もっと素晴らしい医療の未来を思い描き、自分なりの答えを持つことは大切なことなのではないでしょうか。

それに応じて社会は変わり、より良い未来が来ることを信じています。

最後まで読んでくださった、これからの未来の医療をつくることになるであろう全ての読者に感謝します。




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