世の中には、○○療法、△△療法…といって無数の治療法が存在する。病気を治すことの真意を理解せずに、すべてに手を出せば、結果を出せずにお金を失うことも少なくない。
薬や手術、放射線という治療とは、病気を治すためにするものという認識があるが、実際には、病気のつらい症状や、急激に進行する病気を一時的に止めるために行うものである。
病気を一時的に止めている間に、病気を抑え込める力を患者が取り戻すことができれば病気は治るし、取り戻せなければ再発する。本来、現代医療とは、「カラダが病気を治してくれる」ことを期待するものである。
これは、風邪のような些細な病気から、癌のような大きな病気まで共通の概念である。
※ただし、先天的な病気など特殊なものは除く。
病気が再発すれば、また別の薬を使ったり再手術をして病気を治そうと患者も医師も試みる。しかし、結局は病気を止めているだけであるので、患者自身に病気を治せるだけの力がなければ病気は治らない。
あくまでも病気を治すのは、人間のカラダそのものである。
そもそも、病気を抑え込む力が慢性的に弱った結果として大きな病気になっている。つまり、大きな病気になっている時点で、患者の病気を治そうとする力は非常に弱い。
だから、病気の進行を何度も治療で止めてあげても、自分の力で病気を抑え込めないために何度も再発する。
手術や薬、放射線によって病気を止めることはできるが、カラダに大きな負担がかかる。治療を重ねれば重ねるほど、カラダ自身の病気を治そうとする力は奪われていくため、どんどん治すのが困難になっていく。
治療をすることが病気を治すことと考えている限り、患者は治療を繰り返す。治療による負担でカラダが壊れるまで負のループは終わらず、最終的に緩和ケアになる。
○○が効く、△△がいい…。世間には様々な情報が存在し、患者は、病気が治るのであればと、あれもこれも試そうとする。それでも病気が治らないことは少なくない。
病気が治らないから、別の方法、次の方法と手を出すことで、どんどん費用がかかり、また治らないから、また費用が掛かるという負のループを民間療法でも繰り返すことになる。
治ると聞いて試した民間療法が結果を出せない理由は様々ある。
例えば、
病気を例えるなら、それは「山」である。山を登り切ることができれば病気は治るし、登り切れなければ病気は治らない。民間療法とは、手法は異なれど、山を登るための体の力をサポートしているようなものである。
病気の種類も、病気の進行状況も異なるため、越えなければならない山は、人それぞれ異なる。小さな山を越えればいい人もいれば、大きな山を越えなければならない人もいる。また、山を登り切るのに時間の猶予がある場合もあれば、無い場合もある。
違うのは山の大きさだけではない。人により、年齢も違えば、カラダに負担のかかる治療(薬や手術など)をしているしていないも違う。つまり、山を登りきるための体力(病気を治そうとする力)が異なる。
各人が自分の山を登りきるために必要なサポート量は異なる。時間の猶予が無く急いで険しい山を登らなければならない人には大きなサポートが必要であるし、逆に時間をかけて緩やかな山を登ればいいのであればサポートの量は少なくて済む。
少しのサポートで治る人もいれば、治った人をマネて同じことをしているのに治らない人もいる。結局、病気を治せるかどうかは、山を登り切るために必要なカラダの力を取り戻せるかどうかにかかっている。
いくらお金を使って現代医療や民間療法をしたとしても、病気を克服できるレベルの力を取り戻すことができなければ病気は治らない。これが、病気を治せる人と治らない人との差でもある。
最善の方法としては、薬や手術をする前に、ライフスタイルの改善や、カラダに負担のかからない民間療法のサポートもしつつ、カラダを「病気が治せる状態」にまで強くすること。
ただし、カラダが痛い時や、急激に進行する病気で猶予が無い場合などは、カラダに負担がかかったとしても薬や手術で一時的に病気の進行を止めることも必要なことである。そして、できるだけ早い段階で全力を尽くして、治療を長引かせずに決着をつけることである。
Column 023 | 2019.05.17