TOP > コラム

Column 017

体に良い物を食べても病気になる理由。

スーパーマーケットの女性
スーパーマーケットの女性

Introduction -導入-

世の中には、カラダに良いと言われる食べ物や成分がたくさん存在します。私たちの周りは、カラダに良い食べ物であふれているとも言えます。しかし、私たちは健康になっているのでしょうか。むしろ病気は増え続け、苦しんでいるのではないでしょうか。

病気が増え続ける現代社会の現状を考えた時に、私たちが健康に良いと思っているものは、実はそれほど健康に良いものではないとも言えます。ここでは、本当に人間にとって健康に良い食べものとは何かを考察していきます。

体に良いものが悪いものに変わる理由。

ずっと昔から体に良いと言われ積極的に食べてきたものが、ある日突然、「実は体に良くない」と言われることはよくある話です。

なぜこのようなことが起こるのか?その理由は単純であり、その食べ物に対する認識が足りなかったということになります。いくら科学的な根拠やデータが出ていたとしても、それは食べ物の人体に対する影響の一つの側面を浮き彫りにしたにすぎません。しかし、多くの消費者は、研究者が出した結論や宣伝文句を必要以上に信じてしまいます。

また、得られたデータを研究者がどのように捉える(解釈する)かによっても結論は変わってきますし、その研究者の思考レベル以上の結論は出てこず、大事なことを見落としている事もあります。

そもそも人間のカラダがすべて理解できていない以上、食べ物が人体に与える影響をすべて把握することはできないと言えます。

体に良いと信じて食べてきたものが、実際には体に良くないものであるならば健康になることはありません。

食べ物による効果を過信しすぎている。

ある食べ物を食べるだけで健康を維持することができるほど、人間のカラダは単純ではありません。

にもかかわらず、その食べ物を食べることによって健康になれるというような謳い文句の食べ物はたくさん存在します。人が健康になりたいという願望がある以上、資本主義において、そこには利益相反やビジネスの関係が生じることは避けられません。

そのような社会自体の構造によって、間違った方向に進んでいながらも、誰もそれを間違いであるとは気づかないことはよくあることです。

消費者の思考を操作することが巧みになり、それほど効果がないものでも、まるで大きな効果があるように信じ込ますこともできます。

もし、健康になれると信じていても、効果のないもの(もしくは効果の出ない量)を食べているのであれば、健康になることはありません。

健康は食事だけで保たれているわけではない。

人間の健康は摂取する栄養だけで保持されているのではなく、運動や睡眠、ストレス状況など様々な複合的な生活環境によって大きな影響を受けていると考えるのが自然です。

体に良いと言われるものを食べ、もしその食べ物が本当に健康に良い物であったとしても、食事以外の項目をおろそかにすれば健康を保てず病気になっても不思議ではありません。

食事に気を使っていても病気になる人もいれば、あまり気を使っていないのに健康な人もいることを考えれば、食事は健康にとって大切な要素ではあっても、健康を維持するための唯一の要素ではないということが言えます。

にもかかわらず、多くの健康食品は、食事以外の項目の重要性を説いてはおらず、その食品を食べることが最重要であるというように消費者の思考を牽引しています。それでは、健康になれないのは当然の話です。

特別な成分が足りないから病気になるわけでもない。

世の中にあふれる健康食品には、「その成分が足りないことが病気になる原因であり、その成分を補うことが健康になることである」というように謳うものも少なくありません。

では、人間は特別な成分を補い続けなければ健康を維持できない特殊な生き物なのでしょうか。ごくありふれた食材しか食べていなくても健康を維持できている自然界の他の動物たちとは異なる存在なのでしょうか。

人間は、人間である前に動物です。つまり、自然界で普通に(容易に)手に入る食材だけで健康を維持できるようにできていると考えるのが自然です。そうでなければ、人間は自然界で健康に生きることができない生き物ということになります。

自然界の生活からズレるほど病気になる。

人間が病気なる原因は、運動不足、睡眠不足、ストレス過多など様々ありますが、これらは自然界での生活からのズレと考えることができます。

自然界で生活していれば、獲物を狩ったり(食料を得る)、敵から逃げる(逃走)のために必ず運動をしなければならず運動不足になることはありません。人間社会のような特殊なルールや義務も無いため睡眠不足になることも無ければ、人間関係などのストレスに悩まされることもありません。

本来の自然の理の中で生活していれば自然に健康を維持できるようにできていると考えることができます。逆に、自然の理から外れれば健康を崩し病気になるとも言えます。

お手本にすべきは、自然界の動物たち。

人間は健康になるために、健康に良い成分を探したり、様々な健康法を考え出してきました。しかし、現代において病気が増え続けていることを考えると、それらは本当に正しいものではないと考えるべきなのかもしれません。

人間の導き出した答えは、その時は正しいと思っていても後で間違っていたり、気づかぬうちに予想もしないような不利益をもたらしていることもあります。現在の人間の思考レベルで導き出せる答えが、期待しているレベルの答えではないということを認識すべき時が来ているとも言えます。

人間の考え方で問題を解決できない場合、より優れた方法は、自然界の動物たちのライフスタイルにあるとも考えられます。

自然界の動物たちは、何千年何万年という長い年月をかけて地球の環境に適応し進化し続けてきています。何度も何度も試行錯誤(失敗と成功)を繰り返し今の状態にたどり着いたとも言えます。そして、人間のカラダも他の動物たちと同じです。

近年、人間が健康を追求するために発明したものやその発明に要した時間とは数百年程度であり、自然界の動物たちの試行錯誤に要した時間にはとても及びません。つまり、自然界の動物たちのライフスタイルには、人間が考えるレベルをはるかに超えたヒントが詰まっているとも言えます。

本当に体にいい食べ物の基本的概念。

体にいい食べ物を論ずる前に考えなければならないのは、人間を含め動物たちがどのような条件の下でカラダを現在の状態に適応・進化させてきたのかということです。

条件とは自然環境そのものであると言えます。自然界に生きていれば、自然界で容易に手に入る食材を食べることを前提にしてカラダは進化しています。

つまり、自然界で動物たちが自然に食べるもの(自然な状態のままのもの)が、最も体にとって良い物であると考えることができます。逆に、動物が自然に食べることのないもの(自然界の前提条件から外れるもの)は、体にとって問題を起こしたり、ふさわしくないものとも言えます。

健康になる食事とは、体に不自然なものを入れない事。

自然の食材を食べることが自然の理であり、それを前提として生物のカラダは進化してきている以上、自然な食材が体に良いと言えますが、生き物のカラダの仕組みから考えても、不自然なものを体に入れない理由があります。

人間も含め、動物も植物も、多くの自然界での生物のカラダの共通の働きとして「免疫」があげられます。免疫と言えば、風邪を引かないための力としても知られていますが、もっと大きな概念では、「体内の異物を除去し、カラダをキレイな状態に保つ機能」とも言えます。

生物により免疫システムは異なりますが、そのシステム自体により体内に侵入した病原体や病気の源となる異物を除去しています。

つまり、自然界において動物たちが食べているもの(動物や植物)は、非常にキレイな状態のものを食べていることになります。これによってカラダが汚染されることが自然に防がれているとも言えます。

また、カラダをキレイな状態に保つ機能が多くの生物に存在するということは、いかに体内をキレイな状態に保つことが健康を維持するために重要なことであるのかも示唆しています。

加工するほど体に合わなくなる。

自然界で食材を食べる時というのは、その食材を手に入れた時であり、言い換えれば、「食べる直前までその食材が生きていた」とも言えます。生き物のカラダは生きている状態が最もキレイな状態であり、死んでしまえば時間の経過とともに本来の状態とは異なっていきます。

また、調理(焼いたり、煮たり、揚げたり)することによっても食材の状態は大きく変化します。

自然界に生きていれば、食材を生きた状態(なま)で食べることになりますが、動物のカラダも本来は生の状態の食材が体に入ることを前提にカラダを適応・進化させてきています。

つまり、自然界での理から外れ、生きた食材ではなく加工され変化したものを食べれば、消化が悪くなったり、本当に得られるべき栄養を得ることができなかったりと不都合が生じてくると考えられます。

人間の都合で作ったものは食べ過ぎると体に良くない。

私たちの周りには加工食品があふれています。天然のものを加工したものから、人工的に作り出したものまで様々存在します。人間の味覚を満足させるため、保存を効かせるためなど、人間の手で何らかの加工をしてしまった時点で本来の自然界の動物が食べるものとは異なります。

自然の理から外れてしまった食材を体内で処理できるようにカラダはできていないため様々な健康面での問題が生じるとも言えます。

ただし、人間のカラダは完全に自然な状態のものしか受け付けないわけではなく、ある程度の幅が存在すると考えることもできます。自然界においても間違って身体に良くないものを食べてしまう事もあるため、動物のカラダには解毒作用の働きもあります。

つまり、多少の自然界とのズレは許容できますが、あるラインを越えてズレた場合は問題が生じる可能性が高いと言えます。

自然な食べ方だから意味がある。

「栄養を補えばいい」という考え方から生み出されたものに、錠剤のサプリメントがあります。

栄養素という観点で言えば、天然の食材も、それを濃縮・加工したサプリメントも同じだと考えられています。しかし、本来の自然界での理から外れている以上、得ることのできる栄養や恩恵というのは同じではないと考えるのが自然です。同じだと思っているのは人間が得たデータや人間の思考の中だけであり、カラダは同じものであるとは思ってはいません。

また、咀嚼(そしゃく)して食べるということに大きな意味があります。咀嚼とは食材に唾液を混ぜ合わせ消化を良くする工程とも言えますが、もしこの過程が必要ないのであれば、進化の過程で退化しなくなっているはずです。しかし、今でも残っているのには必ず意味があります。カラダのどの機能も残るべくして残っているのであり、その機能が果たされなければ問題が生じる可能性は高くなります。

本来、咀嚼により満腹感を得られれば必要以上に食べることはありません。そして、カラダに害を及ぼす量を摂取することを防ぐ役割もあります。咀嚼して食べた場合、もしその食材に悪影響のある成分が含まれていれば、微妙な味の変化や本能的にその食材をたくさん食べることができないようになっています。

例えば、リンゴでも魚でも、無理せず本能にまかせた場合、それほど大量に同じものを食べることはできません。これによりカラダに悪いものが入ることを防いでいたり、足りない栄養素を補おうと他の食材を食べるようにカラダを促しています。また、不必要に食材を体に補うことが、体にとってリスクを伴うことをカラダは理解しているからこその防衛反応とも言えます。

しかし、錠剤のサプリメントは飲み込むものであり、咀嚼の工程を飛ばすことにより、第一の防衛ラインを簡単に通過してしまいます。そうすると、体にとって本当に安全なものなのかも、本当に体に必要なものなのかも判断しないまま、カラダの中に取り込むことになります。

また、安全の確認されたサプリメントだから大丈夫であると言っても、それは人間の思考レベルの範囲内で実施した試験項目に合格したというだけであり、本来の咀嚼による人間のカラダの試験項目に合格したものではありません。

食べていいのか迷った時のヒント。

世の中には様々な食品が存在します。もし、体に入れてもいいのか、食べるのを控えた方がいいのか、迷った時に一度問いかけてみると良いのは以下のことです。

「もし、自分自身が何もない自然界に生きていたとしたら、その食べ物をその食べ方で積極的に食べるだろうか」

「自然界の他の動物たちは、その食品を積極的に食べているだろうか。避けてはいないだろうか。」

人間が測定したデータや、考え出した理屈で判断するから、判断を誤ります。人間は間違いを犯すものです。何があってもブレることのない基準をもつことが大切なことです。

どこまで自然界の生活に近づければいいのか?

自然界の動物たちのように食材を生のままで食べることが良いと言っても、現代社会に生きる私たちにとってはとても無理な話です。

しかし、自然界の動物と同じレベルにまで現在のライフスタイルを戻す必要は無いと言えます。病気が増え始めたのはこの数十年の話であり、病気になる人が今よりも少なかった数十年前までライフスタイルを戻せばよいということになります。

無理な食事制限をすれば、それ自体がストレスとなります。ストレスは逆に健康を害するため、それは避けなければなりません。極端なことをするのではなく、少し意識する程度が最適です。

まとめ



命は、他の命を食べる事によって、つながっていくもの。


加工されていない
本当の命によって。


自然の理を考えた時に、体に良いものというのは、人間が研究により導き出したものではなく、自然界で動物が自然に食べる食材であると言えます。

その食材とは、人間の手で加工していない自然界で手に入れた植物や動物などの新鮮な命そのもの。「加工された偽物の命ではなく、本当の命を食べること」で人間(動物)は健康を維持できるようにできています。

では、自然な食材を食べていれば人間は健康でいられるのかというと、そうではありません。特に自然界のライフスタイルから外れた人間の健康において、食事とは一つの要素であり、運動や睡眠、ストレス状況など人間のライフスタイルそのものを自然界での生活に近づけなければ健康を維持することはできないと考えられます。人間の場合、自然の理から外れているのは、食事の項目だけではありません。

食事に気を使っていなくても病気にならない人がいることや、現代よりもバランスのとれていない食事をしていた昔の時代の方が病気になる人が今よりも少なかったり、自然界の動物が毎日バランスのとれている食事をしていないにも関わらず健康を維持していることを考えると、他の要素に比べて食事というのは優先順位の低い物なのかもしれません。

病気の少ない時代と、病気の増え続ける現代社会を比較した時に、大きな変化とは、社会の構造(ルールや秩序)の変化であり、そこから導き出される自然界とのライフスタイルの最大のズレとは、社会のルールや秩序を守ることや、人間関係、金銭面で生じるストレスであるとも考えられます。

いずれにしても食事は健康を形成する重要な要素であるため、日々の食事を意識しつつ、ストレスの発散にも気を配ることが病気にならないために必要なことであると言えます。